三角形の話

2021/08/04

ベンガラを塗った古い赤門に、ショッキングピンクの子ども用自転車が立てかけてありました。小さな正門を屈んでくぐり、石畳をステップして庭を通り抜け、重い扉をよいしょと開けると、そこは奥の台所まで続く土間と広がる吹き抜け。天窓から降り注ぐ陽の光の下にはイギリスアンティックなチークの大テーブルと食器棚が堂々と納っていました。土間に業務用の厨房機器を置いただけの素っ気なすぎるキッチン。小上がり前にずらりと並んだビルケンシュトック。クタクタになったキャンバスの工具袋やビビッドな色の登山用服。ハコ買いしたポテトチップスうす塩味の段ボールすら素敵に見えるという不思議。
陰翳の中に散らかったカラフルな色や素材が、和の中に同居する新しい文化が、幼い私の視覚に鋭く入ってきました。むかし親戚一家が住んでいた家の記憶です。視覚はさておき。明治に建てられたこの赤門の家は、風や光が中を通り抜けていくような造りで縦も横も妙にスカスカしていました。なんだか巨大なハコの中に入っているような気分。底面に足をテン、と付けて立っている私はただの“もの”みたいでした。とても気持ちが良い。ハコの中で私は“もの”になりながら、大きく空気を吸いました。

時は流れ...いま、ものを仕入れて売る、ということを生業にしております。震災後の2012年に開業をした当初は10年くらい続けられたら良いだろうと思っていましたが、下積み状態のまま喜びも悲しみも幾年月。目まぐるしく変化していく時代の流れをヒリヒリと感じつつ色々と思うところがあり、(このあたりは省略)このたびは拠点を移し、新たな場所で店舗を構えることにしました。インターネットのお陰でこのようなご時世でも様々な形態の販売方法が可能になりましたが、次の展開を考えた時、やっぱりハコが欲しいと思いました。内容は今までと大して変わりませんが、ところ変わればということで見え方も違うでしょう。どんな“もの”でも受け止めてくれる赤門の家のような風通しの良いハコ、”もの”が気持ち良く息できる空気を作ろうと。

三角形の話をしましょう。

20年くらい前に、赤門の家のおばさんが「プラトンの三角形」という3mほどの巨大なドローイングを描いていました。細い鉛筆の線の束で三角形を成した鬼気迫る作品で、恐怖を感じましたが引きつけられました。正三角形に見えるけど微妙に違う。「少し角度が違うのよね...」などとおばさんが一言。線の角度が少し違うだけで多くの三角形が存在する。だから、人が三角形というかたちを思い描く時、それぞれのイメージは同じにはならない。観念は共有できないということらしい。互いに見えない心を形に表した作品に深い衝撃と感動が訪れました。私が描く三角形と誰かが描く三角形は違うかもしれませんが、組み合わさって別のかたちになれるとしたらいいな。私にとって、店はさまざまなかたちを繋げていく作業です。線と線が出合い、新しい世界が立ち上がる現象を見ていたい。時にはエラーもつきものですが、それも織り込み済みで。この先の10年がどうなるか想像もつきませんが、だからこそ楽しみでもあります。まずはハコの中にものをテン、と置くところから再びはじめたいと思います。

2021年8月 移転に際して
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