勝手にRO-ANKI
〜切なくて、酸っぱいやつをお願い〜
2015

2024/09/19

2000年代半ばに高野のイズミヤ、カナートの南あたりに老安記という店があった。「西安家庭料理」「水餃子」の看板を掲げるその店は中国人が経営していて、大体はおじさんがワンオぺ。忙しい時は学ラン姿の息子さんが手伝っていた。おじさんは日本語が出来ないからチェック欄付きメニュー表に正の字を鉛筆で書いて注文する。当時はインバウンド客もいないから英語表記する店は珍しかったが、当然英語も日本語も無くて中国語のみ。スマホも無いし翻訳も出来ないしGoogleマップで予習も出来ない。少なすぎる情報に頭を捻りながら、漢字から想像出来そうな料理を推測して注文していた。当時で500円前後の、ポーションが小さめのメニューが多くて、安くて美味しいから薄給の私にはありがたい存在であった。
特にお気に入りは茄子を油、ハッカク、赤唐辛子、花椒などたっぷりの香辛料で揚げ焼いたもの。羊串。汁無しの酢油麺。正式名称は今でも知らない。いつも何人かで行って分けあっていたが、〆で食べる酢油麺を一人一杯思いっきり食べてみたいと思い、人数分頼んだら間違って汁そばを注文してしまい大失敗したこともあった。

数年通っているうちに床が油でギトギトになり、ゆっくり歩かないとツルツル滑るようになった。自動ドアが作動しなくなり手動でこじ開けて出入りし始めたそんな頃、おじさんの姿が見えなくなった。奥さんが鉄鍋を奮っているが、どうも勝手が違う。微妙に味が違うし、〆に出てくるべきものが最初に出たりする。嘘嘘嘘、ああ、おじさん戻って来てくれ…と切に願いながら通いつづけるも待ち人来ず。ついに我慢出来ずに聞いてしまった。


「あのー、おじさんはどうしたんですか?」
「… …トオイトコロ ニ イッタ …」

遠いところですか…となると天国かムショですか、とは聞けなかった。目を逸らしたその先に、油でベトベト、画鋲で雑にぶっ刺された水墨画の存在があった。「水墨画教えます」の文言とともに。おじさんは水墨画の先生でもあるんだよなあ、そういえば。振り返ると、奥さんがクリッとした大きな瞳で私を見つめていた。

「イル …?」
「え、幾らですか?」
「ゴ マンエン」

意外とお高いんですね、とは言わなかったが「そうなんですね…」と言葉を失った。それが最後の老安記だった。


しばらくしてすぐ、あの店は別の中国人に売られたらしいという噂が耳に入り、見に行くとすっかり様子が変わってしまっていた。ショック!ちょうど仕事を辞めてKitを立ち上げようとしていた頃のことだ。それからも時どき思い出し、似たような中国料理店は無いかしらと探しもするが意外と無いもので、日に日にあの料理が恋しくなった。酢油麺くらいは作れるかもと思い立ち、当時の記憶を元に自分で再現した。調べると西安にオリジナルらしい麺料理はあるけれど、どうも違う。材料を入手するのが難しくて近所で代用品を買って作っていたに違いない。平たいうどんの乾麺を茹でて、サラダ油、酢、塩、細葱、大陸の赤唐辛子、手作りのラー油に混ぜるだけ。何度か試すと意外とほぼ同じに出来た。当時twitterで老安記と検索すると、同じく再現しようとしている人がいて親近感を覚えた。しかし他は諦め、作れそうなyugueさんを捕まえて委ねる事にした。
yugueさんは老安記に行ったことがないという。まさかの口伝で「水餃子」「酢油麺」「羊串」「茄子の揚げ焼き」を再現してもらい、強制的に、勝手に老安記をKitでしてもらう企画を立てた。羊串は脂身の無いマトンでハギレを繋いだようなカスカスの硬めの串焼きで、それが良かったのだ。茄子の揚げ焼きは難しくて、どうしても汁気が出て潤けてしまう。おじさんのは衣をほぼ付けずにカリッと揚げて中はしっとりしている。これが始まると、香辛料が空気に乗って流れてきて目は痛いし咳が止まらなかった。

イベントは大好評に終わったものの、段取りが悪くてんやわんやだった。ただ奇跡的に老安記の斜め前に住んでいたという方が聞きつけて来て下さり、そこで閉店の理由が判明した。おじさんは水墨画で大成したくて中国に帰ったのだそうだ。そしてビルのオーナーで実はお金持ちだったという。なんだか意外な結末。
気付いたら「勝手にRO-ANKI」から10年近く経っていた。いらっしゃい、のたった一言も聞かぬまま、ついに言葉を交わすことは無かったけれど今でも行きたい店。唯一、酢油麺くらいは自分で作れる。仕上げのコツはイベントのサブタイトルにもした通り〜切なくて、酢っぱい〜という事が大切だった。

三角形の話

2021/08/04

ベンガラを塗った古い赤門に、ショッキングピンクの子ども用自転車が立てかけてありました。小さな正門を屈んでくぐり、石畳をステップして庭を通り抜け、重い扉をよいしょと開けると、そこは奥の台所まで続く土間と広がる吹き抜け。天窓から降り注ぐ陽の光の下にはイギリスアンティックなチークの大テーブルと食器棚が堂々と納っていました。土間に業務用の厨房機器を置いただけの素っ気なすぎるキッチン。小上がり前にずらりと並んだビルケンシュトック。クタクタになったキャンバスの工具袋やビビッドな色の登山用服。ハコ買いしたポテトチップスうす塩味の段ボールすら素敵に見えるという不思議。
陰翳の中に散らかったカラフルな色や素材が、和の中に同居する新しい文化が、幼い私の視覚に鋭く入ってきました。むかし親戚一家が住んでいた家の記憶です。視覚はさておき。明治に建てられたこの赤門の家は、風や光が中を通り抜けていくような造りで縦も横も妙にスカスカしていました。なんだか巨大なハコの中に入っているような気分。底面に足をテン、と付けて立っている私はただの“もの”みたいでした。とても気持ちが良い。ハコの中で私は“もの”になりながら、大きく空気を吸いました。

時は流れ...いま、ものを仕入れて売る、ということを生業にしております。震災後の2012年に開業をした当初は10年くらい続けられたら良いだろうと思っていましたが、下積み状態のまま喜びも悲しみも幾年月。目まぐるしく変化していく時代の流れをヒリヒリと感じつつ色々と思うところがあり、(このあたりは省略)このたびは拠点を移し、新たな場所で店舗を構えることにしました。インターネットのお陰でこのようなご時世でも様々な形態の販売方法が可能になりましたが、次の展開を考えた時、やっぱりハコが欲しいと思いました。内容は今までと大して変わりませんが、ところ変わればということで見え方も違うでしょう。どんな“もの”でも受け止めてくれる赤門の家のような風通しの良いハコ、”もの”が気持ち良く息できる空気を作ろうと。

三角形の話をしましょう。

20年くらい前に、赤門の家のおばさんが「プラトンの三角形」という3mほどの巨大なドローイングを描いていました。細い鉛筆の線の束で三角形を成した鬼気迫る作品で、恐怖を感じましたが引きつけられました。正三角形に見えるけど微妙に違う。「少し角度が違うのよね...」などとおばさんが一言。線の角度が少し違うだけで多くの三角形が存在する。だから、人が三角形というかたちを思い描く時、それぞれのイメージは同じにはならない。観念は共有できないということらしい。互いに見えない心を形に表した作品に深い衝撃と感動が訪れました。私が描く三角形と誰かが描く三角形は違うかもしれませんが、組み合わさって別のかたちになれるとしたらいいな。私にとって、店はさまざまなかたちを繋げていく作業です。線と線が出合い、新しい世界が立ち上がる現象を見ていたい。時にはエラーもつきものですが、それも織り込み済みで。この先の10年がどうなるか想像もつきませんが、だからこそ楽しみでもあります。まずはハコの中にものをテン、と置くところから再びはじめたいと思います。

2021年8月 移転に際して
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